聖武天皇社(公式)

聖武天皇社(しょうむてんのうしゃ)は、鎌倉時代に創建された松原地区の地域の神社であり、氏神として聖武天皇を祀っています。毎年7月の第3日曜日に「松原の石取祭(聖武天皇社例大祭)」が行われています。

万葉集(1030番歌)に収められている聖武天皇が詠んだ恋歌が刻まれた石碑(万葉史跡)があり、昭和31年に四日市市の市指定記念物に指定されています。

7月 14日 (金)宵・宵宮神事(叩き出し)
7月 15日 (土)宵宮(新楽)
7月 16日 (日)本宮(本楽)

  1. 境内には一歩通行を基本として、参拝を待たれる皆様との間の距離を保っていただきます。
  2. 参道の足元には、目印を付けていますので、こちらでお待ちください。
  3. 手みずやで手を洗う場所では、柄杓を使わずに手を洗って頂きます。使い捨ての紙を近くに置きますので、紙で手を拭いてください。
  4. 境内の数ヶ所に除菌用アルコールを設置しますので、手指の消毒をお願いいたします。

境内のご案内

皆さん、奈良の大仏様は知っていますか?
この大仏を建立するよう詔(みことのり)を全国に発願したのが聖武天皇です。その聖武天皇を氏神として、鎌倉時代に創設されたのが「松原の聖武天皇社」です。伝承によれば、安貞元年(1227年)創建。

聖武天皇の時代、伝染病や災害を鎮める象徴として、大仏を建てられたのが有名で、無病息災の参拝に訪れる方が多くみられます。また奈良の大仏(東大寺盧舎那仏像)建立の際に、佐渡の金山の発見があり、大仏建立の資金調達の目途が立ったことから、聖武天皇は、とても金運の強いお方としても拝まれています。

聖武天皇と万葉集(歌碑)

境内に建つ御製の石碑には、聖武天皇が天平十二年(七四〇)十一月、この地に泊まられた時に、都に残してきた妻(光明皇后)を想って詠われた恋歌が刻まれており、夫婦円満や縁結びのスポットとなっています。

万葉集1030聖武天皇御歌

妹(いも)に恋い 吾(あ)がの松原見渡せば 潮干(しおひ)の潟(かた)に鶴(たづ)鳴き渡る

通釈

あの方を恋しく思い 逢える日を 我(あ)が待つと言う吾(あが)の松原、 この松原を見渡すと潮が引いた干潟に向かって、鶴(つる)が鳴き渡っている

意味

松原の先に広がる干潟の上を、鶴の鳴き声が寂しく響き渡るのを聞きながら、遠い都に住む妻を恋しく想う。

「続日本書紀」によると、聖武天皇は、奈良時代の天平12年(740)伊勢国を行幸になり、11月に一志郡河口をたち、鈴鹿郡赤坂頓所を経て、23日に朝明郡の頓宮に着かれたとあります。この歌にでてくる「松原」は、現在の聖武天皇社付近と言われております。

本殿右手に見える大きな歌碑の文字は、鈴鹿の石薬師で幼少期を過ごした歌人 佐々木信綱(ささき のぶつな)の揮毫(きごう)によるもので1955年(昭和30年)に築造。本殿右横には万葉集の原文(万葉仮名)で刻まれた歌碑も見ることができます。

正面鳥居をくぐって、右手に見える大きな歌碑の前は、「夫婦円満」や「縁結び」のスポットとして密かに人気となっています。撮影、SNSにアップしていただいてOKです。良縁が続きますようお祈り申し上げます。

歌碑の前で撮影した写真を、Instagramに投稿していただくと、ご利益があるかも!?
インスタグラムに投稿された写真は、御祭事の際に、宮司が祈祷させていただきます。
投稿の際はハッシュタグや当アカウントにタグ付けを宜しくお願いいたします。
【ハッシュタグ】#聖武天皇社
【人物のタグ付け】 @shomutennosha

万葉仮名の石碑

本殿右横にある小さな鳥居の奥にあるもうひとつの歌碑。こちらは万葉集の原文(万葉仮名)で「妹尓戀 吾乃松原 見渡者 潮干乃滷尓 多頭鳴渡」と刻まれています。設立年不明。

白玉龍神社

本殿右側にある白玉龍神を祭る白玉龍神社。地元青年団からの神興祈願として創建。商売繁盛の神として祀られています。セルフおみくじがありますので、ぜひ運試しください。

力石

八百年もの昔より、力試しに持ち上げた力石。「健康の石」として松原村に代々伝わったもので、1993年(平成5年)に聖武天皇社に移しました。重さは不明。※現在は動かせません。

石喰松

長い年月により石と一体化したような貴重な松の木。石を我が子のように守ってるようにも見えるため「親子の絆」や「家族の絆」に縁のあるスポットです。

御祭事・御守

年間行事(令和5年)
5月2日  天平祭(聖武天皇ご命日)
7月 14日 氏神様の例大祭(宵宵宮神事)
7月 16日 氏神様の例大祭神事

例大祭
7月 14日 宵宵宮神事、叩き出し
7月 15日 新楽
7月 16日 例大祭神事、本楽

10月22日 白玉龍神祭
12月10日 新嘗祭

令和6年
1月1日 元旦祭り
1月14日 どんと祭り
3月3日 祈年祭り

※祈祷はご相談ください。(お宮参り・七五三・厄祓など)

授与品

石取祭りについて

松原の石取祭(まつばらのいしとりまつり)は、三重県四日市市北部の富洲原地区の3地区(富田一色地区・天ヶ須賀地区・松原地区)の1つの松原地区に行われる祭り。

富田一色地区の祭礼は<富田一色けんか祭>であり、天ヶ須賀地区の祭礼は<天ヶ須賀の石取祭>であり、松原地区の祭礼である松原の石取祭の正式名称は<聖武天皇社例大祭>である。

歴史

  • 奈良時代に聖武天皇が伊勢国に行幸した際に朝明郡の松原村に立ち寄り、聖武天皇の逸話から鎌倉時代に聖武天皇社が鎮座した。明治時代までは大木と大木の間に太鼓を吊り下げていて、木の枝には鉦をつるした祭りであった。
  • 大正時代から昭和時代初期より松原町及び緑町が小型祭車により、石取祭をはじめる。
  • 昭和20年代に東洋紡績富田工場が国道1号線(旧東海道)道路の閉鎖に対する補償で資金援助を行い西元町自治会・東洋町自治会・緑町自治会が桑名式の祭車を新造した。
  • 1993年(平成5年度)からは、皇太子徳仁親王と雅子妃の成婚記念の祝いで土曜日(朝・夕の2度の時間帯)と日曜日の二日間の開催から、金曜日と土曜日と日曜日の三日間の開催になる。令和時代が始まった令和元年(2019年の徳仁親王即位日)の5月1日に改元祝賀の石取祭りが開催された。令和2年度の松原石取祭は新型コロナウイルスの影響で中止が決定して、2020年は神社の神事だけが実施される事となった。

富洲原地区・松原町について

聖武天皇社のある富洲原地区は、東洋紡績株式会社(現:東洋紡)の最大規模の工場「東洋紡績富田工場」があった場所で、現在は大型ショッピングモール(イオンモール四日市北)や住宅地になり、近代的になりました。

歴史

松原村の旧家の田村家が明治時代まで神社を守ってきました。松原姓を名乗っていた旧家田村家の民話では、聖武天皇が伊勢行幸の際、松原村の旧東海道を通ると一陣の風が吹き、天皇の笠が池に落ち、付近の小川で洗濯をしていた田村家の娘がその笠を拾ったため、これが縁となって聖武天皇は田村家に宿をとったという。その形見の品が永く保存されていたが、火災で焼失したという。

『続日本紀』の記述では、聖武天皇は天平12年(740年)に伊勢国に行幸した。その際に聖武天皇は松原の歌を詠んだ。『万葉集』に「妹に恋ひ、吾の松原見渡せば、潮干の潟に、鶴なき渡る、右の1首、今案ふるに、吾の松原三重郡にあり。河口の行宮を相去ること遠し。けだし、朝明の行宮に御在す時に製らす御歌なるを、伝ふる者誤れるか。」とある。

吾の松原については、津市安濃地域の松原の説と、鈴鹿市の伊勢若松駅周辺の鈴鹿郡松原の説や、四日市市の県地区であるという説がある。

富洲原地区の神社

  • 富田一色飛鳥神社
    (とみだいしき あすかじんじゃ)
    三重県四日市市富田一色町25ー17
  • 天ヶ須賀住吉神社
    (あまがすか すみよしじんじゃ)
    三重県四日市市天カ須賀3丁目1-11

参拝・アクセス

所在地:
〒510-8015 三重県四日市市松原町5-8
駐車場あり
※祭事の場合は駐車場が閉鎖になる場合があります。公共交通機関をご利用ください。

最寄り駅:
JR関西本線 富田駅より徒歩9分
近鉄名古屋線 富田駅より徒歩12分

参考文献

更新情報

2022.7.15 ホームページ開設しました。
2022.7.15 インスタグラム開設しました。

メディア掲載情報

YouTubeで紹介されました

チャンネル名:Moony town in japan with you
日本の文化などを海外に発信している四日市在住のムーニーさんに、聖武天皇社や石取祭りを紹介していただきました。

松原の石取祭り
氏子総代
参拝について(聖武天皇社にて)
例大祭について(聖武天皇社)

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